ヒューマン・ケミストリー(7)
〈RCA301〉
北川はこれにヒントを得た。
だが難しい問題が山積していた。
〈RCA301〉
北川はこれにヒントを得た。
だが難しい問題が山積していた。
〈共同センター〉
計算機を運用する技術はある。センターを運営するノウハウもある。販売するマシンもあった。プログラムを作り、要員を教育する人材もいる。
〈日本ビジネスコンサルタント〉
1959年6月14日、日本ビジネスコンサルタントは設立発起人会を開き、翌15日に東京法務局世田谷出張所に設立登記を行った。
〈長尾光雄〉
一方、北川の周辺にも変化が起こっていた。日本ビジネスの事業が大きく三つの方向に分岐することがはっきりし始めたのだ。
〈保険業務センター〉
新庁舎の設計は山田守が担当した。
〈厚生省統計局〉
1956年、厚生省統計調査部が吉沢会計機から統計会計機を導入した。厚生省統計調査部の計算機導入は、1951年から検討されていた。末宗晋司(GHQ経済科学局―東京QM―アメリカ軍立川基地―日本ビジネス)の大学時代の同級生だった谷口泰範が厚生省保険局数理課の課長補佐だった関係から、パンチカード・システム導入の相談が立川基地の北川のもとに舞い込んだ。
〈触媒〉
いつの時代にも、人と人の出会いがドラマを生む。その出会いは意外な組み合わせであったりする。プライバシーに属するような事がら――趣味や姻戚関係――が、ふとしたことから人間関係を作り、それが新しい展開を促していく。
〈重要物産免税制度〉
大蔵省は国策レンタル会社構想を諦めさせた代わりに、税制上の優遇措置を承認した。〈丸山英人・相沢英之〉
このとき平松の相手をした大蔵官僚の中に、理財局の資金課長補佐だった丸山英人、主計官だった相沢英之がいる。丸山はのち、総務課長に転じた相沢のあとを受けて主計官となった。一方の相沢英之はのちに大蔵省事務次官に登りつめ、やがて自由民主党所属の衆議院議員となる。〈開銀融資〉
以下のような問答があった。
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