〈悔いを千載に残さん〉
独断で撤退を指示した第三十一師団長・佐藤幸徳は軍法会議にかけられることを覚悟したが、実をいうと彼が「弾一発、米一粒モ補給ナシ」の電文を討った直後の4月31日、ラングーンの作戦司令部では、 「インパールには戦局を左右するほどの戦略的価値はない」 という報告が行われていた。
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〈独断撤退〉
3月8日、インパール作戦が発動された。その3日前にイギリス軍のウィンゲート空挺旅団がビルマに降下している。
15日、牟田口中将率いる第十五軍がチャドウィン河に到達し、渡河作戦が敢行された。
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〈牟田口廉也〉
ビルマ方面に大本営が投入した兵力をもう少し詳しく書くと、独立混成第二十四旅団、第十五軍(第三十一師団、第十五師団、第三十三師団)、第二十八軍(第二師団、第五十四師団、第五十五師団)、第三十三軍(第十八師団、第五十六師団、第五十三師団)であって、インパール作戦にはこのなかの牟田口廉也中将麾下第十五軍約12万人が充てられた。
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〈1944年・ビルマ〉
同様のことがビルマ方面でも発生した。
44年1月に発動した「インパール作戦」(「ウ」号作戦)がそれである。
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〈ソロモン諸島〉
5月29日、北の守りであったアリューシャン列島キスカ島の山崎部隊が玉砕した。それを代償にして駐留部隊5639人が脱出に成功した。このころになると、さしもの零戦もアメリカ軍に弱点が見抜かれていたため、大きな戦果をあげることができなくなっていた。
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〈勝利の確信〉
1943年に入って連合国軍は勝利を確信するようになっていた。ナチス・ドイツ軍は北アフリカでロンメル将軍率いる機甲師団が敗北し、冬将軍の前にスターリングラードから撤退を余儀なくされていた。
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〈1943年2月〉
太平洋の戦局が大きな転換点にさしかかっていたとき、大東亜戦争――陸軍の戦い――も転機を迎えていた。香港、シンガポール、コレヒドール、ジャワ、スマトラと連戦連勝を重ねていた陸軍は、ガダルカナル島で前進を阻止されていた。
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〈自己欺瞞〉
海戦後、大本営は国内に向けて、味方の損失を、ほとんど詐称、虚偽、欺瞞と呼んでいいほど過小に伝えたが、それは初めてのことではなかった。ドゥリットル特別攻撃隊による東京初空襲に際しても、大本営は次のように発表していた。
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〈情報の喪失〉
戦闘に入って南雲中将は、別の索敵機から「敵空母は3隻」という情報を入手していた。その数を聞いたとき、彼は「勝った」と思ったかもしれない。こちらには空母が8隻もいる。10時50分に「飛龍」から発艦した攻撃隊が空母1隻に爆弾3発を命中させ、大破・炎上させた。南雲の頭の中で、敵の空母は2隻になった。
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〈読み違え〉
さらにいえば、戦ったのは日本の空母4隻のみであって、他の艦隊は何をしていたのか。空母4隻を失っても、海戦に臨んだ日本海軍艦隊には備えの「龍驤」「隼鷹」「瑞鳳」「鳳翔」の空母4隻がおり、700機近くの航空機が手許にあった。加えて「大和」以下の戦艦11隻、重巡洋艦9隻がいた。
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〈なぜ?〉
しばしばミッドウェー海戦については、海戦前に行われた日本側の図上演習に杜撰があった、ということが指摘される。
児島襄『太平洋戦争』(上)からの引用。
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〈手順前後〉
ミッドウェー海戦をざっとまとめると、以下のようになる。
日本海軍の空母群は、ミッドウェー島攻撃隊からの「第二次攻撃隊ノ要アリ」という報告を受けて、甲板に並んだ攻撃機の爆装を艦船用から陸上用に転換した。さらに利根四番機からの報告「敵ハソノ後方ニ空母ラシキモノ一隻を伴ウ」を受けて、時速30ノット(約56キロ)で北に向かいつつ、甲板上の航空機の爆装を再び艦船用に転換しようとした。
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飛龍から繰り出すことができた攻撃機は24 機だった。この攻撃隊のうち第一波はアメリカ空母上空を援護していた戦闘機を振り切って、ヨークタウンに3発の命中弾を与えこれを大破、第二波はヨークタウンに魚雷2発を命中させ、巡洋艦1隻にも損害を与えた。
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「急降下!」
その声は対空砲火の騒音に掻き消された。仮に司令塔の中の南雲の耳に届いていたとしても、もはや対応策を講じている時間がなかった。アメリカ軍の攻撃隊は、帰艦を急ぐ日本の航空部隊のあとに付いていたため、機動部隊のレーダー監視員は友軍機の群れと解釈した。
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0800 利根四番機から報告。
「敵ラシキモノ10隻見ユ、ミッドウェーヨリノ方位10度、240マイル、針路150度、速力20(ノット)以上」
南雲中将より利根四番機に返電。
「敵艦種を知ラセ」。
利根四番機。
「敵兵力ハ巡洋艦5隻、駆逐艦5隻ナリ」。
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ところが日本海軍はこの海戦で、アメリカ空母艦隊の居場所を見つけるのに無駄な時間を費やした。四方八方に飛ばした索敵機に依存するほかなかった。つまり搭乗員の肉眼による発見と、モールス信号による報告である。この海戦では、索敵機「利根四番機」がアメリカ艦隊を発見していたが、無線の電波出力が弱かったために正確な情報を伝達できなかった。
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ミッドウェー海戦に日本海軍が繰り出した艦船は「すごい」の一語に尽きる。
空母 龍驤、隼鷹、赤城、加賀、飛龍、蒼龍、瑞鳳、鳳翔 計8隻。
戦艦 大和、長門、陸奥、榛名など11隻。
重巡 筑摩、三隈、利根など9隻。
このほか軽巡9、駆逐艦64、水上機母艦2、油槽船9、輸送船15。
航空機約1000機。
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5月4日、日本軍がガダルカナル島の北に浮かぶツラギ島を占領して進攻の構えを見せると、アメリカ軍は空母「レキシントン」と「ヨークタウン」を出動させ、ツラギ守備隊に猛烈な空襲をかけ始めた。
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仮に戦略がどうであっても、最終的に大日本帝国は連合国軍――直接にはアメリカ合衆国――の物量で圧倒されたであろう。ただいえることは、日本帝国海軍は太平洋上での艦隊決戦にこだわっていた、ということと、情報の収集・分析を軽んじたということである。
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日米両陣営にとってこの作戦は、太平洋戦争が第二段階に入ったことを意味していた。これが成就すれば、大日本帝国には対米英戦の勝機もしくは、日本にとって有利な条件での和平交渉が見えてくるであろう。実際に血を流すことも人が死ぬこともないシミュレーション・ゲームや空想小説で、そのような状況を想定することがしばしば行われる。いずれも理屈は同じだが、本編の中ではいま現在、多くの人々が傷つき命を落としている。
続きを読む "巻之九〔修羅〕ミッドウェー(7)" »
5月15日、ニミッツは太平洋に展開している空母に、ハワイに急いで帰還するよう命令を出した。主力の「ホーネット」と「エンタープライズ」が真珠湾に入ったのは同月26日、サンゴ海海戦で大破した「ヨークタウン」が帰還したのは翌27日である。
続きを読む "巻之九〔修羅〕ミッドウェー(6)" »
かねて海軍は「積極的敵艦隊殲滅論」を主張し、陸軍に連携作戦の発動を求めていた。ミッドウェー諸島はアリューシャン列島とハワイ諸島の中間にあって、ここを抑えることは、ハワイ攻略を目指す海軍、北辺防衛の強化を指向する陸軍の双方に利があった。以上のことから、海軍の構想はにわかに具体的な作戦に転換した。
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アメリカ本土には1942年9月に零式艦上戦闘機が焼夷弾を抱えて出撃した。ただし、アメリカ本土上空を飛んだのはただの1機だった。その零戦は翼を切って折りたためるように改良した偵察機タイプで、伊―25号潜水艦に搭載され、ロサンゼルス沖で飛び立った。
続きを読む "巻之九〔修羅〕ミッドウェー(4)" »
実をいうと、日本海軍は第二次ハワイ攻撃とアメリカ本土爆撃を実行に移していた。第二次ハワイ攻撃は、航空母艦に搭載した九六式艦上攻撃機をもって、再建されつつあったアメリカ軍の陸上基地を破壊するのがねらいだった。加えて真珠湾の修復工事に打撃を与え、沈没したままのアメリカ海軍艦船を修理不能なまでに壊滅させるのである。
続きを読む "巻之九〔修羅〕ミッドウェー(3)" »
山本と同様、アメリカ軍の戦略中枢部も「日本軍は開戦から1年半は太平洋で有利に戦いを進めることができる」と読んでいた。アメリカ合衆国は自国の工業生産力がはるかに勝っていることを承知していたので、日本の石油備蓄量だけをにらんでいた。石油が枯渇するまで日本軍の猛攻に耐え、合衆国本土への上陸だけは阻止する作戦だった。
続きを読む "巻之九〔修羅〕ミッドウェー(2)" »
太平洋戦線でアメリカ軍は、ランチェスター戦略モデルを忠実に実践した。戦争初期に採用したのは戦略モデルのうち「弱者の戦い方」だった。つまり局地戦にしぼり、兵力の分散を避け、一点集中の戦略を練った。
続きを読む "巻之九〔修羅〕ミッドウェー(1)" »
兵士の訓練度、組織の統率力、兵器の性能などがほぼ拮抗している場合、「強者」つまり勝者になるには潤沢な物資と、その適切な補給が決め手になる、というのである。
続きを読む "巻之九〔修羅〕ランチェスターの法則(7)" »
関連した話だが、コンピュータと人間のチェス対戦はIBM社がようやく勝利したが、将棋はどうかというと、当分の間、コンピュータが人間に勝つのは無理だそうである。取った駒を再び盤上に打つことができる。それだけでコンピュータが計算すべき条件が数乗倍に増える。もっともそれはプロの名手の場合であって、筆者などはパソコンの将棋ゲームで簡単に負かされているが。
続きを読む "巻之九〔修羅〕ランチェスターの法則(6)" »
いわれてみればその通りで、理論としては単純なものだった。ランチェスター自身も、雑誌に書いた自分の論文が近代戦争の基礎理論として重宝がられるようになるとは考えもしていなかった。ところが、軍艦や航空機、戦車、銃砲の数量こそ軍備の強化につながると考えていた軍当局者、政治家たちにとって、「集中効果の法則」と「多面展開のルール」は革新的な理論にほかならなかった。
続きを読む "巻之九〔修羅〕ランチェスターの法則(5)" »
これがきっかけとなって彼は自動車会社を設立し、「ランチェスター・カー」を製造・販売したが、事業としてはパッとせず、飛行艇製造会社の技術コンサルタントを経て、1913年に「ランチェスター研究所」を設立した。
続きを読む "巻之九〔修羅〕ランチェスターの法則(4)" »
戦闘を計数化する、とはどういうことを意味していたか。ナチス・ドイツ、イタリア、日本の枢軸三国の雲行きが怪しくなってきた1938年から39年にかけて、アメリカ合衆国大統領・ルーズベルトはコロンビア大学の数学教授クープマン、プリンストン大学のフィリップ・モースなどの数学者たちを集め、キムボール海軍作戦研究班に特別プロジェクトを編成した。その目的は「ランチェスターの法則(Lanchesters Method)」の実践的研究だった。
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アメリカ軍は「情報」の収集と活用で日本軍を凌駕した。ガダルカナル島では、占領した日本軍の基地の燃えかすの中から、日本兵が残した日記を日系二世の海兵隊員が解読した。彼ら日系二世の海兵隊員の中には、日の丸の鉢巻を締めて日本軍と戦う者もいた。アメリカ本土で暮らす父母や兄弟の名誉がかかっていた。
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ミッドウェー海戦の大敗をきっかけに、大本営は冷静さを失い始めた。なるほど余裕のない船舶を資源の運搬に回して鉄の生産に充てるべきか、物資や兵器・弾薬の輸送に用いるべきかは難しい選択だったかもしれないが、時々刻々と変化する戦争という事象に際して、船舶の割当てをめぐる議論に半年近くもの時間を費やしたのでは話にならない。この間の停滞が、戦局のムードを一変させた。あるいはそれは〔勢い〕と称されるものである。追い上げ、追いつき、反撃に出る方が強い。
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『機密戦争日誌』10月30日付。
陸軍省軍務局長曰く①来年度鉄三五〇万トンは絶対確保するを要す②右保持困難なるが如き作戦は御免蒙る。
意中言外に「ガ」島作戦の中止を要求するが如し。
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21世紀のこんにち、第三者の視点で眺めているわたしたちからすると、鉄か船かの議論はひどく虚しい。これ一つをとっても、戦争の継続が可能かどうか、結論が出る。鉄か船か、ではなく、戦争か和平かを彼らは論じるべきだった。だがこの章のこの時点で、陸軍も海軍も負けを認めていなかった。
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1942年4月から43年3月までに日本が獲得した船舶は、拿捕・浮揚修理37万7000トン、新造36万2000トンの計73万9000トンだった。ところが喪失は125万トンに達し、差し引き51万1000トンの純減である。結果、戦地に兵力を送ることや、南方で得た鉱物資源を運搬することがままならなくなった。
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ガダルカナル島からの撤退は、日本軍の伸張に歯止めがかかった象徴だったが、太平洋での戦いの帰趨を決定するほどの敗北ではなかった。何が戦局の転換を促したかというと、生産力である。なかでも鉄の生産量だった。
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太平洋戦争のターニング・ポイントとなったのは、いうまでもなくミッドウェー海戦である。この海戦で大日本帝国は太平洋での制海権と制空権を失い、かつ、ガダルカナル島が足かせになっていく。
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太平洋戦争の転換期は、1942年の7月から11月にかけての5か月である。強いて転換の期間をしぼれば、9月と10月ということになるであろう。
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アメリカ合衆国政府と軍がIBM社の計算機を標準的に採用したのは、①操作を同一にすることで要員の養成・確保を容易にできること、②MRCやMRUの間でデータやアプリケーション・プログラム、すなわちパンチカードおよび、要員の融通が利くこと、③IBM社の保守要員がどんな場所でも必ずサポートできること――などが理由だった。IBM社が一貫して通してきたレンタル制で蓄積したノウハウが役立った。
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クレア・レイクとフレッド・キャロルという卓越したエンジニアが、IBM社の統計会計機械装置を磨き上げたことは、前の巻で書いた。もう一人、スコットランド生まれのジェームス・ブライスというエンジニアがいた。ハーバード大学を中退してIBM社に入り、新型の計数器、乗算器、除算器を生み出したエンジニアである。
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このときIBM社がアメリカ以外に保有していた事業所は、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、シンガポールなど77か国に及んでいた。その中には当面の敵であるナチス・ドイツ、イタリア、日本も含まれていた。ルーズベルト大統領にとってこの提案は心強いものだった。
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無防備の上空500メートルから投下された爆弾と焼夷弾、機銃掃射によって、東京では死者36人(6都市合計50人)、重軽傷約500人、焼失・全壊家屋265戸、軍事施設や工場など数か所が損壊した。これに対して日本軍は、たまたま試験飛行中だった陸軍三式戦闘機「飛燕」が一連射撃を行ったものの、燃料不足のため1機も捕捉することができなかった。
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彼らは最初、空母の甲板に見立てた狭くて短かい滑走路で離陸することを練習し、次に空母からの発艦訓練が行われた。日本を飛び越えて中国大陸に着陸するのだから、着艦訓練は必要なかった。
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太平洋戦争が始まったとき、アメリカ海軍の作戦本部が最も懸念したのは、ハワイの航空基地が日本軍に奪われ、アメリカ本土への空襲が行われることだった。その逆のこと――米軍機による日本初空襲――が、開戦から半年もたたないうちに行われたのである。
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アメリカ極東軍フィリピン防衛軍がコレヒドール要塞に放置したIBM社の計算機の話に戻る。というか、やっとその話ができる。
鹵獲した日本陸軍第十四軍の兵士は、それが何なのかを正しく理解することができなかった。そこで東京の大本営に処分を問い合せると、「大至急、本国に輸送すべし」 という回答が返ってきた、というところまで書いた。 ただし、精密な機械なので、丁寧に扱え、と付け加えるのを忘れた。
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